[神社] なぜ岡山県に崇道天皇の墓があるのか(加茂神社:岡山県津山市)

崇道天皇の墓

岡山県津山市にある加茂神社の裏の山には,崇道天皇の墓があります。崇道天皇は桓武天皇の弟の早良親王のことです。早良親王は藤原種継の暗殺に関わった罪に問われ,絶食の末,亡くなりました。

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図1. 崇道天皇の墓

暗殺への関与が疑われた際には京都に幽閉されていましたが,その後,淡路島に流されることになります。淡路島に向かう途中の大阪で亡くなってしまいます。遺体は淡路島に運ばれたということです。亡くなったあと,早良親王には崇道天皇という名前が贈られました。

その崇道天皇の墓が岡山県津山市にあるといいます。遺体は淡路島に運ばれたはずなのにどうして岡山県津山市にあるのでしょう。崇道天皇はひとりしかいないので,お墓もひとつしかないはずです。

この謎へのひとつの答えが,広報かがみの第170号(2019年4月)に書かれてました[Link]。生涯学習課の日下は,長い歴史のうちに伝言ゲームのような事態が起きたのではないかと考えています。

怨霊信仰

災害や病気の蔓延が起きるのは,恨みをもって亡くなったひとの祟りだと考えられることがあります。その祟りから身を守るために,死んで怨霊となってしまった人を祀る信仰を怨霊信仰といいます。その怨霊のひとりに崇道天皇がおり,これを特に崇道信仰といいます。

日下 (2019) によれば,崇道天皇を祀っている神社のことを,特に「崇堂」といったそうです。その表記の仕方は,「崇道」「総道」「惣道」「宗道」と多々あったと言います。このような神社の名前や土地の名前が山陽地域によくみられ,この地域では崇道信仰が盛んだったと一般には考えられているようです。

取り違えられたスサノオ

しかし,日下 (2019) は次のように考えています。

(岡山)県内の崇道信仰は、崇道天皇よりもスサノオノミコト(素戔嗚命)との結びつきが指摘され、加茂神社も祭神は崇道天皇としながらも『東作誌』(一九世紀前半成立)には「素戔嗚命を惣道と称すること神道者流の伝ふる所なり」とあります

この地域の神道の関係者は,その昔,スサノオに対する信仰を「惣道」と読んでいました。「惣道」は「そうどう」と読みます。もともと,この賀茂神社のある加茂地域では惣道,スサノオ信仰があった。しかし,どこかの時代で,「すどう」,崇道ととりちがえられてしまったと日下 (2019) はいうのです。兵庫県でも特定の地域で崇道崇拝の痕跡があって謎と言われている地域がありますが,スサノオ信仰のとりちがえと考えることができそうです。

となってくると,賀茂神社の裏の崇道天皇の墓はどう考えたらいいのでしょう。崇道天皇の墓と言われる場所からは青銅製の秋草双雀鏡がみつかっています。きっと力をもった人物が埋葬されていることには間違いないでしょう。しかし,時代が経つにつれ,埋葬された人物が誰だかわからなくなってしまった。そんなことがあり得るのかと思いますが,大山古墳に誰が埋葬されているのかも未だわからないということを考えると,長い時間の前にはどんな権勢を誇っていた人物も勝てないということでしょう。

再び,崇道天皇の墓

どなたかわからないが地域にとって大切なひとが埋葬されているという墓。スサノオ信仰の惣道と崇道が取り違えられて,崇道崇拝が過去盛んだったと地域の歴史が書き換えられてしまう。勢い余って,誰だかわからないが重要な人物も崇道天皇になってしまった。こんなふうに考えるのが適当ではないでしょうか。

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図2. 賀茂神社の狛犬(大阪型)

賀茂神社の狛犬も最近に造られたものですから,残念ながら,実際のところ,どうだったのかは見ていません。口伝えではなく,文字にして次世代に伝えていくといことはとても大切なことだと思います。

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