[読了] アマテラスが大日如来の化身だったらなにが困るか?(ブッシイ アンヌ「神仏習合の系譜」)

神仏習合

神仏習合という現象があります。日本土着の神様に対する信仰と日本で育った仏教が融合するという現象です。神様と仏様が一体となることです。宗教的シンクレティズムという言い方もするそうです。明治維新前,例えば,神社で仏像が祀られている場合がありました。こうした仏像を本地仏と言います。

なぜ,神社で仏様を祀るのか,今の感覚ではよくわかりません。それはわたしたちが明治維新後の世界を生きているからです。神仏習合は,明治維新前,中世以降,庶民のあいだで自然に行われていたようです。

神仏習合は,日本の神様は,外国由来の神様の権現であるという考え方に基づいています。権現というのは仮の姿という意味です。日本の神様は外国由来の神様の仮の姿であって,本来,ふたつの神様はひとつなんだという考え方です。例えば,天照大神は大日如来の化身であって,本来はひとつだということです。ひとつの国にふたつの宗教があれば,それは対立を生むことになりかねませんが,わたしたちの祖先は,「実は同じものなんだよ」ということでどちらも両立できるようにしました。たいへんな知恵だと思います。

神仏分離令

しかし,明治維新を先導するリーダーたちにとっては,この神仏習合の状態は好ましいものではありませんでした。天皇中心の国づくりがをはじめようとするタイミングです。天皇は天照大神の末裔です。その天照大神は実は大日如来の化身だという考え方は,かなり困った考えかたです。天照大神が大日如来の化身だとしたら,本体はどちらでしょう。大日如来ですね。大日如来が主で,天照大神が従となります。天皇の権威を絶対的なものにしようとしていたリーダーたちにとっては,ちょっと困った考え方です。

1868年,神仏分離令が出されます。神様と仏様は別物ですから,両者を分けなさいという命令です。冒頭で本地仏について書きましたが,その本地仏の多くがこのとき捨てられてしまったそうです。神社を世話していた僧侶は神社から追い出され,何々権現といった石像も首を切られたり壊されました。鹿児島では,鐘なども没収されました。それらは鉄砲の弾に作り替えられたそうです。仏神両方に仕えていた修験者も一時姿を消しました。

明治維新から学ぶこと

多くのものが壊されました。その壊されたものには地域の歴史が詰まっています。路傍の祠を見ることで,個人的な思い出が想起されるだけではなく,それにまつわる地域の言い伝えを思い出したりします。ものには地域の歴史がつまっているわけです。いつも通っている道沿いの土地が更地になっていることがあります。ここにどんな建物がたっていたのか,思い出せないことがあります。ものがなくなることで地域の記憶もどんどん消えていくでしょう。

明治維新を成功させることによって,日本は欧米の植民地になることを避けることができました。海外から多くのものを学び,列強と肩を並べるほどの国力ももつことができました。一方で,明治維新によって,多くの記憶が日本人から失われたことでしょう。日本は世界の国に比べて長い歴史をもっているとわたしたちは誇ります。しかし,今のわたしたちをつくりあげているのは,明治以降の最近の記憶だけなのかもしれません。

私たちは新しい社会を作り出すことには成功しました。しかし,過去を大切にすることはできませんでした。過去の失敗から学び,私たちは新しい社会を作りあげるとともに,過去の記憶のつまったものを大切にし,後世に伝えるということにも,より目を向けていく必要がありそうです。

  • ブッシイ アンヌ・福島 勲 (2007). 神仏習合の系譜(<特集>神仏習合とモダニティ), 宗教研究, 81 巻, 2 号, p. 259-282. [J-stage]

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