菅野覚明「神道の逆襲」(講談社現代新書)[Amazon],とても,面白かったです。
神代からある黄泉の国
本居宣長の古事記解釈(図1)や,平田篤胤の幽冥界のはなし。
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それらは古事記の世界を整合的に構築し直そうという試みだった以上に,まさに篤胤自分が生きるためにどうしても必要な理論だったという。例えば,若い時から苦労をして,最愛の妻を亡くした篤胤。彼にとっては幽冥界はなくてはならないものだったのではないかと思います。愛する妻がそばで自分をみている。自分は妻を見ることはないけれども,ふたりはいつもそばにいある。
ひとが生きていくためには,あの世があったほうがどうもいいようです。なにしろ,わたしたちは必ず死にます。この世に確実なことなど何もないはずなのに,死だけは確実に私たちにやってきます。考えてみれば,神秘的でありさえする事実です。確実にやってくる死を思いながら,私たちは生きているわけですが,思ったように生きることは難しいことです。嫌いなひとには出会うし,好きなひととは別れなければいけない。相手が死んでしまったら,もうこの世では絶対会えない。
生きるために必要な黄泉の国
そんな現世で生きていくには,あの世があったほうが生きやすい。この世界とは別の世界があると思うとほっとする。図にしてみたら下の図のような感じかな。
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世界がこの世だけだと息苦しい。救いがない。けれども,あの世があったら,なにかほっとする。来世に救いを求めようとする。
あの世の効用は確かに大きい。それでひとは強く生きていけるのかもしれない。けれども,この世に生きるわたしたちにはこの世で起きることしかわからない。仮にあの世の印がなにかのかたちで現れていたとしても,けっして私たちはそれに気づかない。
だから,この世で生きているかぎりは,この世のことを考えて生きるのがいいと思う。この世のことがうつつになったり,あの世のことを商売にしている宗教家につけこまれでもしたら,それこそ,あの世にいるみんなが悲しむことになるでしょう。
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