概要:神社の祭神には,2タイプあると思われます。ひとつはいわゆる神様,伊邪那岐や伊邪那美,天照大御神などです。もうひとつは人間が神格化する場合です。この記事では,神社に祀られている人間が生前どんな人物だったのかを紹介しています。神社を通じて地域や日本の歴史への関心をもってもらえることを目的にしています。
和気清麻呂
人間を祀る神社。最初は岡山県になる和気神社で祀られている和気清麻呂を紹介しましょう。清麻呂は垂仁天皇の血を引いています。清麻呂から遡ること17代前が垂仁天皇です。垂仁天皇は11代目の天皇です。清麻呂の頃の天皇は48代目の称徳天皇でした。
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垂仁天皇の息子が鐸石別命です。この鐸石別命が日本武尊の部下でたいへんな武功をあげました。それにより現在の岡山の東部地方を鐸石別命が治めるようになったと言われています。
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古代のラスプーチン
761年のこと,病に伏せった孝謙上皇を看病したのが,道鏡でした。道鏡はお坊さんでありながら,政治にたびたび介入するまでの力をえるようになりました。
孝謙上皇はその後再び天皇となり,称徳天皇となります。天皇には子どもがおらず,誰が皇位を継承するのかが問題となっていました。しかし,皇位継承をめぐっては,皇位継承権をもつものの謎の死,継承権の剥奪などが起こっており,誰もこの問題について声をあげることができない情勢でした。
宇佐八幡宮事件
769年のことです。宇佐八幡宮からこんな神託が奏上されました。「道鏡を天皇にすれば,世の中は平和になる」というものでした。神託の真偽を確かめるために九州に派遣されたのが,和気清麻呂でした。
宇佐八幡宮で清麻呂は神託をもう一度聞こうとしますが,八幡神はもう言わないといいます。清麻呂は,帰って,みなにこう伝えます。
日本は古来より,天皇が君主として君臨し,臣下がそれを支えるという秩序が確立されています。臣下であるものが天皇になるということは,これまでの我が国の慣習に反するものです。天皇の位は天から授かったものであり,皇統を途絶えさせることは許されません。道鏡のように、血統が異なる者が天皇になることは認められないことです。天皇の位を簒奪しようとするような者は,国にとって害となる存在ですから,速やかに排除するのが適当でしょう。
この声はおそらく臣下の多くが思っていた思いでしょう。しかし,実際にそれを声にだして言えたのは清麻呂ただひとりでした。清麻呂はこの後,称徳天皇により,左遷されます。称徳天皇は道鏡を天皇につけたかったのでしょうか。清麻呂は左遷の際,改名までされています。別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)です。
正しいことを言えるひと
日本の歴史において,処罰されることを恐れず,正しいと思ったことを言葉で表現したひとはそれほどいないのではないでしょうか。武力に頼ったり,暗殺を企てたりすることは多いですが,言葉によって時流を変えたひとというのは,清麻呂以外に思い浮かびません。
当時のひとは,清麻呂をバカだなと思ったかもしれませんが,これによって,天皇の血筋が途絶えるという事態を回避することができました。その功績は大きいでしょう。
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